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The Shikao Times 18号の 「SHIKAO recommend」のコーナーより転載。

 ★ジャンスマシネマ/ JUNGLE SMILE 

 JUNGLE SMILEを知る人は、そんなに大多数ではないだろう。 
 目立った大ヒット曲もないし、奇抜なプロモーションや言動が売りの 
 ユニットでもない。2002年12月、やんごとなき事情によりひっそりと 
 活動中止してしまった。まるでロウソクの炎が消えるように 
 シーンからいなくなってしまった。ぼくは彼らがデビューするずっと前から 
 彼らとは交流があったし、デビュー後も同期ということもあって 
 ラジオのゲストに何度も呼んだり、密かなライバル心もメラメラと燃やしたりしていた。 
 戦友とまではいかないが、ぼくにとってはいつでもすごく気になる存在だった。 

 ボーカルと作詞を担当する高木郁乃というアーティストは、ぼくが今まで 
 出会った中でもっとも音楽業界にむかない純粋な志を持つ詩人だった。 
 その痛々しいまでの言葉は最後の一文字まで完全なる純潔を求め、 
 「あと一文字すら書く余力を残さず書き切りました・・・」 
 毎回毎回がそんな印象の詞だった。純粋であるがゆえに不器用だったり、 
 青すぎたり、時には退屈だったりする時もあるが、 
 ツクリモノの女性シンガーの、下心がチラチラ見え隠れする腐った詩よりは 
 数万倍も心に響いたし、今そこに生まれた意味が 
 はっきりとこちら側に伝わる詩だった。 
 純粋なものだけが持ちうる、無防備な輝き・・・ぼくのように 
 不純でアマノジャクな書き手には一生到達できないような、 
 希望に満ち満ちた輝きを高木郁乃の詩は常に放っていた。 
 それはどんなに悲しいことが書かれた詩であろうが、 
 誰かを確実に未来に向かわせる力を持ち得たのだ。 
 ファーストアルバムの一曲目に「恐竜のヘリコプター」という曲がある、 
 もう意味とか脈絡とか想像とかを振り切った彼女特有の詩世界が、 
 柔らかいメロディと絶妙に溶け合った傑作だと思う。 
 当時、ぼくがそれを絶賛すると「周りの人は、なかなかわかってくれない・・・」と 
 彼女はさびしげに話していた。 

 セカンドアルバム「林檎のためいき」をはさんで、 
 2000年3月に発表された「あすなろ」という三枚目のアルバムに、 
 なぜぼくは変化を見つけられなかったのだろう・・・ 
 自分のことで精一杯で、人のことまで考える余裕がなかったのか・・・。 
 このアルバムを一言でいうなら「絶望」だ。 
 希望という言葉で作った「絶望」のアルバム・・・そんな匂いがする。 
 もちろん彼らのオリジナルアルバムとしては最後の作品というのも 
 感情的にはあるのかもしれないが・・・。 
 それまでJUNGLE SMILE の言葉の中に宿っていたキラキラしたものは、 
 もはや見つけられない。あるのは何かにズタボロに、 
 あるいはグロテスクに傷ついて、それでも歩いていかなくちゃいけない・・・ 
 でもその理由さえ見つからない・・・でも前にいかなきゃ・・・という、 
 どうにもならない長い長い回廊が永遠に続いているような感じだ。 
 汚れようとしても、どうしても汚れきれない・・・ 
 まるで吐くだけ吐いて、何も残っていないのに 
 嘔吐感だけが繰り返しやってくる、あの泥酔時の感覚に似ている。 
 
 高度なアレンジ・多彩な曲調、アルバムとしては最高傑作なのかもしれない。 
 しかしそれはリスナーにとって、そして彼らにとっても悲しい最高傑作だと、 
 ぼくには思えてしまう。・・・光に続く階段を、ぼくらは見てしまった・・・ 
 この一行から始まる「飛べ!イカロス」という歌は 
 ・・・たとえ幻でも、ぼくらは行くしかない・・・という、潔い痛みの決断で 
 締めくくられる。力のある、本当に素晴らしい詩だと思う。 
 なにかの本に「絶望を書けない書き手に、本当の希望など書けるわけがない。」 
 というのを読んだことがあるが、悲しいかな・・・彼らの言葉は 
 「あすなろ」の先の未来で、より鋼のごとく強くしなやかな「希望」に 
 生まれ変わろうとしていたにちがいない。 
 だからせめて、あともう一枚アルバムが出ていたら・・・ 
 このアルバムを聴くたびに、ぼくはそんなふうに考えてしまう。 

 「ジャンスマシネマ/JUNGLE SMILE」には全てのシングルのクリップと、 
 東京で行なわれた彼らのライブがノーカットで収録されている。 
 ステージ上で、なぜあんなふうに感情をむき出しにして、 
 叩きつけるような歌を歌っていたのだろう・・・ 
 まるで最後のステージだと知っているかのように見えて、 
 終始涙がとまらなかった。途中MC で 
 「上京して8年になります。東京は大好きです・・・」と、高木郁乃は言った。 
 ぼくは自分だけがエヘラエヘラ無神経に生き延びてしまって、 
 なんだかとても申し訳ない気持ちになった。 
 なぜなら・・・この日の国際フォーラムの二階席には、何も知らない 
 愚鈍なぼくがアホ面で座っていたからだ。 
 めずらしく彼らから招待状が来たのだ。その招待状には、 
 高木郁乃の字でこう書いてあった。 
 「私も26歳になりました・・・」 
 はじめて彼らと出会ってから、知らない間にもう7年もの月日がすぎていた・・・。 




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